アーティストか否か
これは3件目の記事になるが、
前述で御察しの通り私はDJである。
例外除き現在は一定のギャランティーを頂いているので、
勿論ある程度のお仕事としての意識、任務、責任感を持って挑んでいる。
だが同時にDJが生きがいでもあるので、趣味と言われれば趣味である。
自分の為にやっていることだし、それがなければ生きていけない。その為に生きている。私の使命のひとつだと認識している。
DJは月に数件程なので勿論それだけでは生活できないのも事実だ。
DJ”だけ”で生計を立てることができる人はほんの一握りだと思う。
私は現在どこにも属さずフリーで活動している。
過去に某海外レーベル専属のDJだったこともあるが、少し話がややこしくなってしまうので、ここでは割愛させて頂きたい。
ここで、私は今後どうありたいか、問いたくなっただろう。
教えてやろう野郎ども。
まず、私は現在心療内科に通院しており、
前職の傷病手当を主な収入源として生活している状況だ。
DJの出演料と合わせても毎月の収入は15万弱である。
そして、その傷病手当受給期間があと数ヶ月で終了する。
DJだけでは生活できないのでそれまでに仕事を探す必要がある。
世の中には色んな人が存在していて、実家がお金持ちで働かなくても生活できる人もごく稀に存在するが、
私は残念ながら子供の頃から裕福な家庭ではなかったように思う。
粗大ゴミから拾ってきた自転車を誕生日にプレゼントされたこともあった。
何回か引っ越しも経験し、一番最悪な家は、お風呂が外にあり、冬場は寒い中裸のままお風呂まで移動しなければならなかった。
シャンプーも体洗うのも2日に一回が当然だと思っていた。
母は少し言葉が下手でうまくコミュニケーションが取れず、父は毎日お酒を飲んでいたので本当の父の姿を知らない。毎日夕方5時頃には帰宅してずっと家でお酒を飲んでいた。主な収入源は母で、母が家計を支えていた。
それなのに目の前で母が殴られているのを何度か見たことがある。
母は西洋系の美人で私よりずっと肌が白くて自慢の母だ。天然の栗色のウェーブヘアが羨ましかった。
でも、私は父に似ていて可愛がられなかった。母は私が父に似ていてどうしても憎かったのだと思う。
愛情を注いであげられなくてごめんね、それなのに産んでしまってごめんねと去年の誕生日に母から手紙が送られてきた。
私はこれまで辛い経験もたくさんしてきたけど、
それでも産んでくれてありがとう。
こんなに素晴らしい世界に生きているんだもの…
本当の気持ちを伝えるのってすごく勇気がいるし難しいことだと思う。
それを伝えてくれた母は強いし、私も強い。
だから、私も強く生きていきたいと思う。
私にしかできないことがあるはず。
それをこれからもやっていきたいのです。
私にしかできないこと。
私なりの方法で表現して伝えていきたい。
このブログも表現の一つである。
本題であるアーティストか否かについてだが、
今後はこれまでの経験を作品に昇華できればと思っている。それは自分を救うためであり、母を癒すため。
それがたまたま他の人にの心にも届けばいいな。
昨年はありがたいことに歌詞、ボーカルメロのお仕事をさせていただく機会があった。
そして今年に入ってからボーカルとして案件に携わることができた。
私の気持ちを何かに変換して伝えることができればと思う。
伝えたいものがある。感じて欲しいものがあるのは確かだ。
それを実現できれば自らをアーティストとして名乗るべきだと思っている。