今のお気持ち

ブログ楽しみにしてるねと言われたので今日もブログ書きます。

楽しみにされてなくても書くつもりだったよ!

 

見てくれる人がいるのはありがたいこと。

どこの誰が見てるのかわからないけどすでに100回以上閲覧されているようです。

 

私は某DJの人ですが、そのDJのアカウントで、ブログ始めたことやこのブログについて一切公開してないので、知ってる人はまだ秘密にしてね!

私と見てしまったアナタとの約束です。

 

私はいつもみんなの前では理想の姿でいたいのです。不器用でそれが上手くできないからあんまり告知以外のことを発信していくのが苦手だ。だからわたしは音楽でも他のジャンルでも何かしらの作品を作るべきだと思う。自分の身代わりを用意することが必要だ。

SNSにおいて、何をどこまで出していくかはその人の自由だけど、そこが重要だよね。私は常に確かに自分ではありたくて、その時の衝動、リアルを常に発信したい。まさに一瞬。それを見てほしいと思っている。これを投稿すると伸びるだとかフォロワーが増えるだとかそういう打算的なことはできない。私が衝動的な人間だからだ。

でもその時、そこに私という人物はいつも存在してなくて私が作り上げた私の理想の、時に最低なキャラクターが私を見ているのだ。

 

彼女は数年前、私の衝動によって生まれてしまった。

彼女には言いたいことがたくさんあるのだけど、もう誰にも止められなくなってしまった。私ももう彼女を止めるつもりはない。

もうすぐTwitterのフォロワーが2000人、サンクラのフォロワーが5000人に到達する。

その頃までには彼女にはもう少し自分だけではなく周りを見る余裕を持ってほしいなと思う。

そして彼女が自分であることに対して自信を持てるようになってほしい。私は彼女を応援したいが、彼女が私のことを認められるようになるまでにはもう少し時間がかかりそうです。

 

私はこのブログに対して、一個人として自分の内面を見出していきたいと思ってるので

具体的な日々の出来事であったり日記的な使い方や、

活動のことや告知とか好きな音楽のこととか、そういうことはあまり書かないと思う。

私は人間だ。なので、ここでは私を一人の人間として見てほしい。

 

書きたいことは山ほどあるけどそれはまた別の方法で表現して伝えていくべきだと思ってる。

 

 

これは日記ではないが、自分のことを観察して記録していく。

ブログは日記より、「生」でありたいし、もっと衝動的でありたい。記録は正確であるべきだが、正しい事実を生み出すバイブスとそこから生まれるグルーヴが大事。

だから私はブログに、はてなブログを選んだ。

 

何度も言うが、私は衝動的な人間だ。

昨日はキッズサイズの子供服を衝動買いしてしまった。

今この記事はスタバで書いている。スタバで居座って作業することなんて滅多にないが、今日はそういうお気持ちになったからだ。

昨日書きかけて寝落ちしてしまった続きを今書いている。

 

私が抱えている睡眠障害についてもまた書きたい。

このブログを始めてから気持ちの整理ができるようになったのか、寝つきが良くなってきた。

とても良いことだと思っている。

 

私は人に依存してしまう傾向にあると思う。

でも新しい解決方法を生み出した。このブログは私を夢中にさせてくれる。

このブログに依存したい。

これからもよろしくね。

ブログをやる意義について

ブログを始めました。

4記事目にしてようやくご報告です!

 

ブログ書くたびに毎回あらゆる悟りを開くようになってしまい、

それが楽しくて癖になってやめられない!

 

思考をまとめる為、頭の中を整理したくていつも書き殴るけど

その度に新しい発見があり、自分こんなこと考えてたのかと我ながら気付かされることが多いです。

 

自分で書いたのに人のブログを見ているような、えっちな気持ちになっちゃいます。

 

人のブログ見るのもえっちで楽しいよね〜

人の頭の中の思考が垣間見れる瞬間、ものすごくえっちな気持ちになります。

 

私はね、一歩引いて俯瞰的に自分を見て

ただひたすらわけもわからず何かを解いていくんだけど、パズルのピースが上手くハマる瞬間とか、そういう瞬間があるの。それがすごく気持ちいいんです。

 

おそらく、答えは簡単なんだけど、その解に辿り着くまでの過程をどのように表現していくか。

そこがリアルで鮮明なほど美しいと思う。

 

まあ、夢中になれることが一つ増えたのは本当にいいことだと思ってます。

 

ブログをやるとブログのネタを探す為に楽しく生きられる気がする。

 

長年に渡って鬱状態が続いていたので、思考力が低下しているのは感じるしたまに何も考えられなく時あるけど

少しは回復してある程度色んなことに対して自分なりに考えられるようになってきました。

 

自分のためにブログをやっています。

自分のこともっと知りたいので。

 

あと、私は楽曲の作詞もするので、

その為にも役に立つかな、と思って。

 

ブログ自体は昔やってた時期があるとは言え、

全てはインターネットの闇の中に消えてゆきました。死んだも同然です。

死んだなら、生きた証拠が残らない。

でも何も残らないわけではない。

その時見てた人の心に1人でも残っていたのなら、私は生きていたことになる。

 

何かを残すことって、存在証明なんだよ。

責任重大だよ。

 

この私が「過去」になる時がいずれ訪れると思う。

その時になったら、私のこと、見ちゃったアナタの判断に任せます。

アーティストか否か

これは3件目の記事になるが、

前述で御察しの通り私はDJである。

 

例外除き現在は一定のギャランティーを頂いているので、

勿論ある程度のお仕事としての意識、任務、責任感を持って挑んでいる。

 

だが同時にDJが生きがいでもあるので、趣味と言われれば趣味である。

自分の為にやっていることだし、それがなければ生きていけない。その為に生きている。私の使命のひとつだと認識している。

 

DJは月に数件程なので勿論それだけでは生活できないのも事実だ。

 

DJ”だけ”で生計を立てることができる人はほんの一握りだと思う。

私は現在どこにも属さずフリーで活動している。

過去に某海外レーベル専属のDJだったこともあるが、少し話がややこしくなってしまうので、ここでは割愛させて頂きたい。

 

ここで、私は今後どうありたいか、問いたくなっただろう。

教えてやろう野郎ども。

 

まず、私は現在心療内科に通院しており、

前職の傷病手当を主な収入源として生活している状況だ。

DJの出演料と合わせても毎月の収入は15万弱である。

そして、その傷病手当受給期間があと数ヶ月で終了する。

DJだけでは生活できないのでそれまでに仕事を探す必要がある。

 

世の中には色んな人が存在していて、実家がお金持ちで働かなくても生活できる人もごく稀に存在するが、

私は残念ながら子供の頃から裕福な家庭ではなかったように思う。

粗大ゴミから拾ってきた自転車を誕生日にプレゼントされたこともあった。

何回か引っ越しも経験し、一番最悪な家は、お風呂が外にあり、冬場は寒い中裸のままお風呂まで移動しなければならなかった。

シャンプーも体洗うのも2日に一回が当然だと思っていた。

母は少し言葉が下手でうまくコミュニケーションが取れず、父は毎日お酒を飲んでいたので本当の父の姿を知らない。毎日夕方5時頃には帰宅してずっと家でお酒を飲んでいた。主な収入源は母で、母が家計を支えていた。

それなのに目の前で母が殴られているのを何度か見たことがある。

 

母は西洋系の美人で私よりずっと肌が白くて自慢の母だ。天然の栗色のウェーブヘアが羨ましかった。

 

でも、私は父に似ていて可愛がられなかった。母は私が父に似ていてどうしても憎かったのだと思う。

愛情を注いであげられなくてごめんね、それなのに産んでしまってごめんねと去年の誕生日に母から手紙が送られてきた。

 

私はこれまで辛い経験もたくさんしてきたけど、

それでも産んでくれてありがとう。

こんなに素晴らしい世界に生きているんだもの…

 

本当の気持ちを伝えるのってすごく勇気がいるし難しいことだと思う。

それを伝えてくれた母は強いし、私も強い。

 

だから、私も強く生きていきたいと思う。

私にしかできないことがあるはず。

それをこれからもやっていきたいのです。

私にしかできないこと。

 

私なりの方法で表現して伝えていきたい。

このブログも表現の一つである。

 

本題であるアーティストか否かについてだが、

今後はこれまでの経験を作品に昇華できればと思っている。それは自分を救うためであり、母を癒すため。

それがたまたま他の人にの心にも届けばいいな。

 

昨年はありがたいことに歌詞、ボーカルメロのお仕事をさせていただく機会があった。

そして今年に入ってからボーカルとして案件に携わることができた。

 

私の気持ちを何かに変換して伝えることができればと思う。

伝えたいものがある。感じて欲しいものがあるのは確かだ。

 

それを実現できれば自らをアーティストとして名乗るべきだと思っている。

年齢と時間について

私は年齢などあまり気にせずに人と関わっていたいと思う。

子供の頃から同い年の子達とは精神的に合わないことが多く、年上や年下と遊ぶことが多かった。

それは、年上から学ぶことが楽しく、年下に教えることが楽しかったからだ。

だから当時の私としては同い年の人間ほどつまらないものはなかった。

 

私は20歳になる頃、同じ大学の同い年のタカシ君(実名)と初めてクラブという場所に行った。

タカシ君は当時付き合っていた彼氏だった。

そこは大きな音が鳴り人が自由に踊ったりお酒を飲んだりしていた。

色んな年齢の人が一つの空間に集まり、

「同じ時間を共有している」ということに対して強く関心を持った。

 

それまで学生生活で先輩だとか後輩だとか

そういうのに意識しなければいけなかったから、こんなに自由な世界があるのかと驚いた。

 

それ以来、私はクラブに定期的に通うようになり、気付いたらDJを始めていた。

タカシ君は、相変わらず音ゲーが大好きな男の子だった。

彼の車に乗るといつもとにかく速い曲ばかり流れていた記憶がある。

おススメされたが当時の私にとってはうるさくて到底好きにはなれなかった。

私は自分の好きな曲でDJの練習をしたくて、彼と付き合ってる時間がもったいなくて別れた。

 

そのぐらい私はDJが楽しかった。

だから今もずっと続けているのだ。

 

先日の記事に登場した彼という人物だが、彼氏ではない。

今度私とDJでb2bをする相手である。

考えてみれば彼は5歳ほど年下だ。

年齢に対して差ほど意識はしてなかったが、彼は今私がDJを始めて間もない頃の年齢なのである…

 

その頃の私はもう少し時間がゆっくり流れていたように感じる。

人間は歳を重ねるごとに時間が加速していく傾向にある。

 

それなのに、「同じ時間を共有する」ことをしようとしている。それが不思議でたまらなく興味深いことであり、私をたまらなく興奮させる。

 

時間は常時流れていて時計がある限り絶対的なものだと思われがちだが、既にアインシュタインが論破している。

同じ時間を共有することができたなら、それこそが本当の私たちの時間の概念だと思う。身を以て証明したい。

「今」を「生」で体感するのだ。

それが一番人生において興奮する瞬間。

そして私の存在を証明する瞬間。みんなの存在をみんなで証明する。そして全てを超えることができる。気持ちいい。ぶっ飛んでこ!

 

(ピッコロ君へ 心のBPM合わせてこ!)

Disneyに行きました

私、まだ誰もやったことないことをやってみたくて、
ディズニーランドで自殺してみたい。

 

ODしてアトラクション乗ってそのまま空に飛んでいけたら
どんなに楽なんだろう…

 

私は無責任な人間だ。
もうすぐ人間じゃなくなるかもしれないけどそう言った。
すでに決まってるDJのブッキングや楽曲のコラボの案件等
私は必要とされていた。

 

ただ、タイミングが悪かっただけ。
その時できることは只々その時の気持ちを伝えることだった。

 

タイミングが悪かったね、でチャンスを逃したくないと
彼は言った。
私もチャンスを逃したくなかったのだ。
ディズニーランドに行く前日の夜だった。

 

直接電話したかったがタイミングが悪かった。
彼は良い友達に恵まれていた。

 

だから余計自分のことが嫌いになった。

 

誰も何も信じられなくて、楽しい未来は想像したらそれで終わり。
それで十分幸せだと思った。

 

私は彼を必要としていた。
こんなに気が合う友達なんて初めてだったから。
連絡を取るようになって半年も経ってないのに、
今までの人生で起こった出来事の7割ぐらいは全部話した。
そろそろネタ切れだ、なんてね。
だからもう私の気持ち、人生、未来は全部彼に託した。

 

あと3割を伝えたかったが、
伝えることができないまま当日の朝を迎えた。

 

私は不眠症で投薬治療をしている。
上手く夢を見れないのに夢の国へ来てしまった。

 

夢がなくなると人は死ぬのかな。
だから夢の国があるのかな。
なんでこんな場所を作ったんだろう。
なんで人が来るんだろう。
なんで人が楽しそうにしているのを見ると涙が出るんだろう。

 

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入り口にキャストがいた。笑顔だった。
とりあえず笑顔を返して入場した。

 

最後にディズニーに来たのはもう10年以上前になるので
私はとりあえずオススメされたアトラクションの中から
待ち時間が短いものに乗ることにした。

 

アトラクションに並ぶ前、近くでゲリラライブが始まった。
ハイパーテンションで演奏して踊る様をみて、
私は私がDJだったことを思い出した。
単純に楽しくて踊っていたらその演者の一人と目が合った。
その時の一体感はまさにバイブスそのものだった。

 

そしてまたゲリラライブに遭遇した。
気付いたらパレードよりもアトラクションよりもゲリラライブに夢中になっていた。
ダンスを真似して一緒に踊った。そしたら今度は手と手が触れ合った。

 

ライブは楽しい。DJしたい。ライブもしたい。
その一瞬のために。

 

目が合う瞬間、体が触れる瞬間、心が通じ合う瞬間、
それが生きるということを実感した。
ここに来て夢ではなく現実を見たいと願った。

 

ディズニーのアトラクションにはサイケデリックなものや狂気じみた要素が含まれている。
最後に来た子供の頃では気付くこともなかったダークな部分があった。

 

ここは私のために用意された世界なのもしれない。
ディズニーこそが私を理解してくれて、
私も作者の良き理解者になりたいと願った。
苦しみを分かち合いたい。もっと知りたい。

 

うつ病の心の中や、ドラッグを使用したときのような表現描写があり
それが誰でも体験できる。こんな狂った世界は、夢であって欲しいと願った。
夢の中に深い現実があった。
あの中にずっといたらおかしくなっちゃうから早く夢から醒めたい。
でも、もっと知りたいからまた来ていいですか?
ディズニーランドで誰も自殺しない理由がわかった。
誰かの夢を見ているだけだから……

 

その日はホテルに泊まり、翌日はシーに行った。

 

自分のことなんて考える余裕がなく、
ODしようとか死のうとかそういう気持ちを忘れてしまっていた。

 

ディズニーシーに入場すると、
夢から醒めてやっと現実にいる気持ちになった。悪夢は醒めて夢の余韻。

 

ランドが躁鬱なら、シーには感情がない。流れているのは水と時間だけ。
ランドは精神的破壊衝動、シーは物理的破壊衝動。
そして紛れもなく、ディズニーそのものがドラッグだと感じた。

 

癒やしの場所、私にぴったりの場所を見つけた。私の居場所があった。
定期的にまた来たいと思った。それがあるから安心してこれからも生きることができると。

 

不眠症改善して仕事安定したら年パスを取って定期的に通うのが私の夢です。
精神的当事者としてディズニーの良き理解者になりたい。救いになりたい。そのために生きる。

 

次はいつ行こうかな。
オズワルドのカチューシャ品切れで見つけられなかったのが心残りです。
いつか、人生を託そうとした彼も強引に連れていきたい。